河童の裏庭

雑多な感じ

趣味である「ゲーム」との付き合い方を考える

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楽しいと思える趣味を見つけることは、人生を有意義なものにする上できっと大切なことで、僕にとってはゲームだったり読書だったりがそれにあたる。

 

 

 

その中でも最近は「黒い砂漠」というネトゲに没頭する日々を送っている。ネトゲと言うと、やれ依存症だの中毒だの廃人だのと、「終わりがないこと」に対してのマイナスイメージがどうしても付きまとう。常人には理解が及ばないだろうが、ネトゲのために仕事辞めました」こんなことが一部では平気で起こっているのだ。そう考えれば、そりゃあ警鐘を鳴らしもするだろう。

 

――が、僕はこの「終わりがない」ことがたまらなく気に入っているのだ。小さいころからFFやドラクエといったRPGを好み、その世界に没入する楽しみを知った僕は、エンディングを迎えてゲームが「終わる」瞬間がとてつもなく嫌だった。勿論ゲームである以上、どこかに「終わり」があり、それに向かってゲームを進めていく。その中でストーリーや世界観を堪能し、キャラクターの育成に注力し、そうして迎えたエンディングは感無量、筆舌に尽くしがたい喜びがあるが、同時に「終わってしまった…」というやるせなさにも直面してしまうのである。

エンディングのスタッフロールの後に表示されるthe end の画面は、余韻に浸る時間でも、これまでのストーリーを回顧する時間でもなく、入り込んでいた世界からつまみ出されたという疎外感を味わうものだった。「終わりがないゲームがあれば良いのに…」そう考えていた僕がネトゲに手を出しハマるのは、至極当然のことのように思う。

 

 

――「終わりがないゲーム」を夢見ていた僕にとって、ネトゲというものは最高に相性が良かった。レベルがカンストしても、ゲーム内で最強と謳われるボスを討伐してもレアアイテムを獲得しても、エンディングを迎えることはない。多人数が同時に接続している仮想空間において、他プレイヤーより強い,優れているというささやかな優越感に浸れるのみで、そこに終わりはない。基本的にやっていることは、長い時間をかけて自分のキャラクターを強くし、他プレイヤーよりも相対的に優れていることに快感を感じる…ということの繰り返しである。これだけ書くと、その単調さにいつか飽きがくるのではないかとも思うが、アップデートによる新コンテンツの追加や更に強いボスの実装、或いはギルド,クランといった仲間とのコミュニケーションが絶妙なスパイスとなって、なかなか飽きを感じさせないのだ。

 

 

――そんなネトゲだが、最近はのめりこみすぎて、何だかこのままではいけないような気がしてきた。ゲームにハマっている自分が怖くなってきたのだ。休日に寝食を惜しんでプレイし続けるのは勿論、大学がある平日も、講義をサボって朝からネトゲ…ということもザラになっていた。幸い、出席が絶対視されているゼミであったりアルバイトといった、外部からの強制力が働けば、しぶしぶながらもゲームから離れられているのがまだ救いか…あぁ、これがいわゆる依存症というものなのかと、思い始めたのである。こういった、ゲームに比重を置きすぎて現実世界での活動が疎かになっていく…というのは良くニュース等で耳にするネトゲの負の部分である。これは本当に怖いもので、実際僕がゼミやアルバイトすらサボってゲームに興じ始めたら、それはもう、完全に自制心が崩壊したダメ人間の出来上がりである。

 

 

 

――趣味というのは本来、自分の余暇時間を有意義に過ごすためのものであるはずだ。それに打ち込むことで、余暇時間を楽しめるのみではなく、「趣味に興じる余暇時間」という幸せなひと時を思うことで、辛いことでも頑張ろう、乗り越えようとする原動力にまでなる…と まぁ、趣味との向き合い方に関して当たり前のようなことを書いたわけだが、こんな風に仕事と趣味とを両立させるというのは、ともすれば非常に難しいことなんじゃないかと、そんなようなことを思い始めたのである。

 

 

というのも、ネトゲに溺れる最近の僕は、ゲームをやっている瞬間、それ以外の時間に苦痛を覚えるようになりつつあるからだ。ネトゲにどっぷりと溺れる以前は、ゲームに興じる以外の時間、―例えばそれは、一人で考え事をしながら帰路につく時間であったり、友人と雑談を交わす時間であったり、そんな細やかな日常の1コマ1コマが幸せな、有意義といっていい時間であり、そこには確かに「楽しさ」が存在していたのだ。

 が、ネトゲに没頭しはじめてからというもの、そういう何気ない日常を楽しむ余裕が無くなってしまった。僕の生活は、「ゲームに興じる幸せな時間」「ゲームが出来ない苦痛な時間」に二極化されてしまったのだ。そうなってしまうともう、今までの何気ない1コマに幸福を感じることなどありはしない、あるのは「早く帰ってゲームしてぇ…」という、悲しい程に堕落しきった思考だけで、それが脳内いっぱいを支配してしまうのだ。

 

 

幸いにして、今は大学4年の春休み、もう卒業も確定し大学に行く必要もなく、就職先の新入社員研修も3月下旬からであるため、制約といっていい制約はアルバイトくらいしか存在せず、この堕落に身を窶していても特に不自由が生じることもなく――いや、寧ろゲーム三昧の最高に幸せな時間を堪能できている。だが、社会人として働き始めてからはどうだろう…?言うまでもなく平日は仕事で朝から晩まで拘束されることになろう。そうした時間的な拘束に加え、新入社員という立場上がむしゃらに仕事を覚えようとする熱意や、職場内の人間関係に溶け込む努力といったことが求められる。恐らくそれらは、終業後、つまり趣味に興じることのできる貴重な余暇時間であっても僕の脳裏にちらつき、精神的な拘束となって僕の大切なプライベート時間をも、妨害せんと襲ってくるであろう。こんなことを考えると、最早僕に残された道は、趣味であるゲームを絶ち一心不乱に仕事と向き合う会社人間になるか、社会からドロップアウトしゲームに明け暮れるダメ人間になるか、この二択しか残されていないようにすら思えてくる。仕事に真摯に取り組みつつ、余暇時間は趣味のゲームでリフレッシュ…これってもしかして、僕にとっては凄く難しいことなんじゃないか…?

 

 

 

 

――まだ社会人になるまで一月余りの時間が残されている。この一月の間に僕は、趣味であるゲームとの正しい付き合い方を学ばなければならない。

もしそれが出来ないまま社会人として働き始めてしまったら?…恐ろしくて想像したくもない… いやマジで

「就職活動は縁」という言葉にウンザリしてしまう話

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「就職活動は縁だ」

この言葉を耳にするたび辟易してしまう、そんな話。

 

 

 

 

――大学3年次の12月、そろそろ就活なるものに取り組んでみようかと思い立ったが矢先、方々から浴びせられるこの言葉。サークルの先輩から、ゼミのOBから、学部教授、或いは親から…まったく、年端もいかない人っ子一人が就活という未知の世界に今まさに溺れようとしているというのに、やれご縁だの運だの相性だのと、無味乾燥とした抽象的なアドバイスばかり聞かされるのだ。

今後40年、自身の生涯の大半を捧げるといっても決して大袈裟ではない就職先である。それを決定づけるのが縁だの運だので片付けられては堪ったもんじゃない。どうしてこうも運命論的な考えが、就活の本質を突いた言葉として世間に蔓延っているのか…

 

 

――無論、彼等の言っていることも分かる。

就職活動においては、勉強が出来ても、或いは課外活動を沢山していても必ず成功するものではなく、その企業と自分が合うかどうかが重視される。そんな不確実なものだからこそ、これから出会うであろう企業一つ一つを大切にしなさい。

或いは、仮に選考に落ちたとしても、それはその企業が自分と合わなかっただけだから悲観的にならず前向きに取り組みなさい と、雑駁だが要約するとこんなところだろう。

 

とは言ったもののどうだ、運だのご縁だの相性だの、当人の努力云々ではどうにもならない部分をピックアップしてアドバイスされても、此方としては困惑するばかり、何も出来ないのである。

それともアレか、運気を引き寄せる為、日頃から小さな善行を重ねて徳を積めと?そんな胡散臭い就活は御免だ。

 

 

 

――思うに、「色々あって苦労したけど、結局はご縁なんだよな~」という、陳腐な表現にかこつけて達観じみたことを言おうとする姿勢、海千山千を装わんとする承認欲求めいたものが滲み出ているあの感じが、どうにも好きになれないのだろう。

就活はご縁です」 説明会での〆の言葉に、パンフレットに掲載されいる内定者インタビューの最後の一言に、体裁を繕うかのように添えられるこのメッセージが、真に就活生のためを思って発せられたメッセージではないことを嗅ぎ取れてしまうところに、僕の感じる嫌悪感の本質があるのかもしれない。

 

 

 

――2月も終わりが近づき、外を歩くとチラホラ就活生と思しき人と遭遇するようになってきた。勿論僕の大学も例外ではなく、大学3年の後輩は説明会にインターンシップにと忙しそうにしている。

そんな後輩から就活のアドバイスを求められ、半ば反射的に「就活は結局縁だよ」と、 そう答えてしまった自分にただただ、ウンザリしてしまう。

初記事

趣味の話だったり、日常の思ったことを書いてみたり書かなかったりします