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河童の裏庭

雑多な感じ

「就職活動は縁」という言葉にウンザリしてしまう話

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「就職活動は縁だ」

この言葉を耳にするたび辟易してしまう、そんな話。

 

 

 

 

――大学3年次の12月、そろそろ就活なるものに取り組んでみようかと思い立ったが矢先、方々から浴びせられるこの言葉。サークルの先輩から、ゼミのOBから、学部教授、或いは親から…まったく、年端もいかない人っ子一人が就活という未知の世界に今まさに溺れようとしているというのに、やれご縁だの運だの相性だのと、無味乾燥とした抽象的なアドバイスばかり聞かされるのだ。

今後40年、自身の生涯の大半を捧げるといっても決して大袈裟ではない就職先である。それを決定づけるのが縁だの運だので片付けられては堪ったもんじゃない。どうしてこうも運命論的な考えが、就活の本質を突いた言葉として世間に蔓延っているのか…

 

 

――無論、彼等の言っていることも分かる。

就職活動においては、勉強が出来ても、或いは課外活動を沢山していても必ず成功するものではなく、その企業と自分が合うかどうかが重視される。そんな不確実なものだからこそ、これから出会うであろう企業一つ一つを大切にしなさい。

或いは、仮に選考に落ちたとしても、それはその企業が自分と合わなかっただけだから悲観的にならず前向きに取り組みなさい と、雑駁だが要約するとこんなところだろう。

 

とは言ったもののどうだ、運だのご縁だの相性だの、当人の努力云々ではどうにもならない部分をピックアップしてアドバイスされても、此方としては困惑するばかり、何も出来ないのである。

それともアレか、運気を引き寄せる為、日頃から小さな善行を重ねて徳を積めと?そんな胡散臭い就活は御免だ。

 

 

 

――思うに、「色々あって苦労したけど、結局はご縁なんだよな~」という、陳腐な表現にかこつけて達観じみたことを言おうとする姿勢、海千山千を装わんとする承認欲求めいたものが滲み出ているあの感じが、どうにも好きになれないのだろう。

就活はご縁です」 説明会での〆の言葉に、パンフレットに掲載されいる内定者インタビューの最後の一言に、体裁を繕うかのように添えられるこのメッセージが、真に就活生のためを思って発せられたメッセージではないことを嗅ぎ取れてしまうところに、僕の感じる嫌悪感の本質があるのかもしれない。

 

 

 

――2月も終わりが近づき、外を歩くとチラホラ就活生と思しき人と遭遇するようになってきた。勿論僕の大学も例外ではなく、大学3年の後輩は説明会にインターンシップにと忙しそうにしている。

そんな後輩から就活のアドバイスを求められ、半ば反射的に「就活は結局縁だよ」と、 そう答えてしまった自分にただただ、ウンザリしてしまう。