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河童の裏庭

雑多な感じ

ランニングを趣味にするということ

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「ランニングが趣味です」
この言葉を聞いただけで、あなたは何となくその人のことを、健康的で爽やかな人であると思うだろう。あまつさえ、スポーツ万能だとか、細マッチョだとか、イケメンというイメージすら抱くかもしれない。



 

――さて、僕の趣味はランニングである。

どうだ、これを読んでいるあなたは、まだ顔も見たことすらない僕のことを、健康的でスポーツ万能で細マッチョな福士蒼汰だと認識するだろう。まぁ大同小異あるが、その通りである。
細かい違いをあげていくと、僕は毎日のように夜食を貪りタバコを吸い、およそ健康的とは言い難い毎日を送っている。スポーツというスポーツも特に得意でもなく、中学時代のサッカー部ではベンチの座に甘んじていたし、勿論福士蒼汰ではない...が、整形すればかろうじて福士蒼汰っぽい顔にはなれるだろう。...まぁこんなことは瑣末なことで、いちいち細かい違いを探すなんて野暮ったい真似はやめてほしい。




――しかし、僕はランニングが趣味と言い張っているくせに、そのランニングを殆どしていない。稀に、何だかよくわからないフレッシュパワーで満ち溢れた時は意を決して外を走るが、大体それは年に一度あるかないか、一年間一度もランニングに繰り出さないこともザラにある。

これだけ読むと「は?」となること受け合いだろう。ややもすると、「ふざけるな!」と激昂する人もいるかもしれない。それでも僕の趣味はランニングであり、「趣味はランニングです」と言い張ることをやめない。やめたくない。僕の趣味はランニングであってほしいし、「趣味はランニング」という言葉のフィルターを通して、健康的でスポーツ万能な福士蒼汰であると人々に認識されたい

 

 

――やれ、ランニングの効能として、激しい有酸素運動により血流がよくなり新陳代謝を高めるだとか、忍耐力が身に付き身体的にも精神的にも疲れにくくなるだとか色々言われているが、そんなこたぁどうでもいい。僕は人々から、健康的でスポーツ万能な福士蒼汰と思われたいからランニングを趣味にしているのであって、そのほかの事、新陳代謝とか忍耐力とか疲れにくくなるだとか、至極どうでもいい。
とどのつまり、自分をカッコよく見せたいという承認欲求それのみに基づいてランニングを趣味にしており、僕は福士蒼汰になるために走っているのだ。


そのために僕は普段からランニングシューズを好んで履く。iPhoneのミュージックには「ランニング用①」「ランニング用②」などといったいつ使うかも分からない、アップテンポな曲達で構成されたプレイリストが居座っている。大して走ってもいないのにランニング好きであることを装い、「暇さえあれば走ってますが、それが何か?」的なスタンスをキメながら、周囲にそれとなくアピールしている。

その上、趣味はランニングと言い張り自分自身に暗示をかけることで、健康的な生活を送っていると自らを騙し続けている。連日夜食を貪りタバコを吹かす不健康極まりない毎日を送ることへの背徳感を、ランニングという健康的なイメージを持ってして帳消しにし、不健康な毎日を正当化している。

 

ランニングを趣味にしていることで、僕は健康的でスポーツ万能な福士蒼汰になれるし、不健康極まりないであろう連日連夜の夜食も安心して楽しむことができるのだ。年に一度くらいしか走っていない癖に、ランニングの甘い汁を吸い続けている僕は、もうランニング無くして生きてはいけない体になってしまった。

 

だからこれからも、年に一度しか走らなくとも「趣味はランニング」と周囲に喧伝して止まないだろうし、そうすることで、ランニングをこよなく愛している自分というものを醸成し続けるのだろう、きっと。